52秒台を安定して出すことができるようになった理由は?
収穫として安定して52秒台を出し続けていることと、レース展開に進歩があったことの2つが挙げられる。
松本は22年に52秒台を2回(52秒74と52秒56)出したが、23年、24年と大きな故障が続いた。「23年に疲労骨折した舟状骨も、昨年の肉離れも左だったんです。特に昨シーズン前半で肉離れを2回して、走り方を変えようと2カ月半、徹底して取り組みました」
リハビリトレーニングが功を奏した。ケガの影響で速い動きができなかったが、ゆっくりした動きの中で目指す動きを正確に行った。
「脚が流れるクセ(蹴った後の脚を素早く引き戻せないこと)を直すことと、腕振りと重心に乗るところのタイミングを、作用反作用を生かしながら作ることをしてきました。速いスピードではそのタイミングがズレやすいので、まずはスピードが制限されるリハビリの練習の中できちんと行ったんです。必然的に段階を追って身につけることができたと思います」
昨年9月の全日本実業団陸上で52秒29の自己新、同月のAthletics Challenge Cup、10月の田島記念と故障が明けてから全て52秒台をマーク。今年も5月3日の静岡国際で52秒14と自己記録を更新すると、木南記念52秒88、アジア選手権予選52秒24、決勝52秒17と、屋外の400mは7レース続けて52秒台だ。その間、昨年10月の国民スポーツ大会300mで36秒93の日本新、室内でも今年2月に53秒41、3月に53秒15と室内日本新を連発した。
「冬期もインドアの試合に出て、走りの感触やスピードを維持した状態で冬期練習に励むことができました。それでシーズン序盤の試合でも出力を上げられたのだと思います」
日本記録保持者の丹野は51秒台を5レースで出している。その域にはまだ及んでいないが、松本にはまだノビシロが残っている。
200mから300mのスピードアップが成長の証
52秒台を連発しても、レース展開的には思い通りに走ることができなかった。静岡国際は自己新だったが、前半を速く入りすぎて終盤に失速した。その反省から木南記念は前半を抑えたが、後半も思ったほど上げられなかった。「2大会の反省をアジア選手権では生かせて、レース展開が徐々に(正しいところに)落とし込めるようになりました」
昨年の全日本実業団陸上は、100m毎の通過とスプリットタイムが判明している。
100m:12秒3
200m:24秒3(12秒0)
300m:37秒3(13秒0)
400m:52秒29(15秒0)
アジア選手権はまだ、松本陣営も正式な分析ができていないが、200m通過がこのときより少し遅かったようだ。しかし200mから300mは13秒を切っていた。日本記録保持者の丹野麻美と比べ、カーブの走りが課題だったが、その課題克服の兆しが見えている。
「全体的なスプリント能力は上がっていましたが、(静岡国際のように)前半で出す走りができる分、200mから300mの上げたいところが上がってきませんでした。前半でスピードコントロールをしつつ、200mから300mのところを切り換える部分を、ずっと練習してきました。それをレース展開に落とし込むことが、予選からできたことが大きかったです」
決勝は外側レーン選手の侵入があったが、それがなければ300mまでのスピードアップをホームストレートに生かせたはずだ。
「日本記録を出したい気持ちもありますし、近づいている手応えも今シーズンは一番感じられています。気負わず、自分の最大限のパフォーマンスができたら実現できる。スピードが足りないところや、レース構成ももう少し自分のものにできれば、日本記録更新や、それよりももっと速いタイムもイケるんじゃないかと思っています」