国立公文書館に収蔵されている戦犯関係の資料。その中には、米軍機搭乗員3人が殺害され、横浜軍事法廷で41人の元日本兵に死刑が宣告された石垣島事件に関する資料もあった。最初に公文書館を訪ねた2020年当時、公開されていた資料はすべて名前が黒塗りだったが、再審査の請求をしたところ、2024年から徐々に資料原本が公開されるようになった。すべてが公開された資料の中に、死刑になった藤中松雄の上申書があったー。

◆黒塗りから全面公開

横浜軍事法廷の被告人席にいる藤中松雄(米国立公文書館所蔵 撮影1947年12月3日)

新たに公開された資料は、名前を黒塗りにしてコピーしたものではなく、資料原本だった。ほかの事件の資料で3,4年前に公開されたものは黒塗りがなかったこともあり、少し期待はしていた。申請の際にも「随分前に公開になったものなので、大幅に見直しがされることもあります」という説明を受けていたが、「全部の利用を認める」という決定が届いた時は感慨深いものがあった。これまで黒塗りになっていたのは、名前と住所の詳しい部分だ。戦犯、特にBC級戦犯の場合は、普通の人たちが戦争犯罪に問われたことから、どれほど酷いことをしたのかと世間から冷たい目でみられた。「復讐裁判」の色合いが濃いBC級戦犯裁判の被告として過酷な待遇に置かれただけでなく、「家の恥」として家族も口をつぐんだという風潮もあった。そうした社会状況から、法務省から公文書館に資料が移管された2000年頃は、名前を出さないという判断をしたのだと思う。