戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。戦争は当時、日本で暮らしていた外国人の生活も一変させました。戦後ほとんど語られてこなかった歴史を紐解きます。
先月、京都市で行われた写真展。草間彌生や小野洋子など、ニューヨークで活動していた日本人アーティストたちの姿を1971年に写した作品です。
写真家 トム・ハールさん
「ああやって床で画を描くのは、すごく日本的だと思う」
撮影したのはハワイ在住の写真家、トム・ハールさん。
取材に役立ったという日本語は子どもの頃、日本で覚えました。
写真家 トム・ハールさん
「1944年ごろかな、英語で言えばハウスアレスト(自宅軟禁)っていうのかな。家が牢屋みたいになっちゃってね」
1941年末に始まった太平洋戦争。日本で暮らしてきた外国人の多くは帰国を余儀なくされ、残った人も特定の場所に疎開させられました。
トムさんの一家も幼い頃に、東京から軽井沢へ移住を強いられました。
トムさんと交流を続けてきた高川邦子さん。祖父が戦時中、軽井沢で外交官をしていたことがきっかけで、疎開した外国人の歴史を調べてきました。
疎開した外国人を調査 高川邦子さん
「戦争が始まって横浜に住んでいた外国人は、みんな箱根や軽井沢に行くようにと。外国人は桜の写真を撮っているだけで、スパイ行為をしているんじゃないかとか、知り合いにあいさつしただけで、いまのは何かの合図じゃないかと」
トムさんの父親もまた、ハンガリー出身の写真家でした。
最終的に外国人だけで2000人近くが疎開した軽井沢の生活は、飢えや寒さとの戦いだったといいます。
写真家 トム・ハールさん
「(父が)いくつカメラ持っていたか知らないですけど、1回カメラと食べ物を交換したことは聞きました」
いわゆる「お雇い外国人」やその子供まで監視の対象となり、えん罪で獄死したケースもあったという戦時下の日本。そこには、あまり語られてこなかった教訓があります。
疎開した外国人を調査 高川邦子さん
「私は小学校時代に父の仕事でフィリピンに住んでいまして、フィリンピンでは反日感情がものすごく(当時)まだ強くて、私が歴史について思うのは、景色をどの方向から見るかによって、同じ山を見ていても全然違って見えると思うんですね。いままで太平洋戦争の歴史は、日本人が経験したことが中心だったと思うけれど、少し別の視点から同じ戦争を見ていただけたらなと思いました」
写真家 トム・ハールさん
「なぜそういう時代があったとか、なぜそうなったか(考えることは)必要だと思う。やっぱりこういうことを忘れるのは良くないと思う」
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