NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第6回は、長崎の芸術文化の拠点ベネックス長崎ブリックホールのそばに建つ銘板です。

爆心地からおよそ1.2キロ南西に位置する「ベネックス長崎ブリックホール」。この一帯には80年前、三菱長崎製鋼所の第1、第2、第3、第4工場の工場群と本館がありました。
陸・海軍の管理工場の指定を受け、防弾鋼板や戦車用特殊鋼板、航空素材など、軍の統制のもとで生産していました。

原爆によって工場は壊滅状態となり、職員や動員された学生など1406人が亡くなりました。当日出勤者の被災死亡率は82%。当時19歳だった吉山裕子さんも、ここで働いていたひとりです。

吉山裕子さん:
「仕事しながら行ってたんですね、そしたら同時にピカッ!と窓越しに光を見たんです。その途端もうみんなわからなくなりました…。崩れてきて、下敷きになって…。その中にいた人はほとんど亡くなったですね」(2003年取材)
全身に重傷を負った吉山さん。原爆は青春真っ只中の少女の心にも深い傷を残しました。

吉山裕子さん:
「自分の顔見たくなかったんですけど、ちょっとやっぱり覗いてみたいって感じで…お化けですよね…。歯はないでしょ、全部折れてしまって。唇は歯で切れて裂けている。このへん(口周り)もずっと傷があって、額も切れてましたよね…。いま考えてみたら涙も出て、悲しいですよね。まだ年頃でしたからね」

第1工場があった場所は現在「ベネックス長崎ブリックホール」に、第4工場の場所は「みらい長崎ココウォーク」に、本館の場所は「長崎文化放送」になっています。

亡くなった人だけでなく、一命を取り留めた人たちの人生をも一変させた原爆。音楽や演劇など芸術文化を楽しむ人々や多くの高校生が行き交うこの場所で、銘板はあの日の惨状を伝えています。