歌詞公募で1等に しかし…驚きの逸話

昭和8(=1933)年2月、日本の国際連盟脱退に向けた動きを一面で伝えた日の新聞に、藤田の写真付きの記事が載りました。

(レコード)「朝風香る小松の緑の気高く優しい日本の女」

東京で開かれた「万国婦人子供博覧会」の歌詞公募で藤田の「日本婦人を讃える歌」が1等に輝いたのです。歌はレコード化され、新聞で「昭和鹿児島の紫式部」と讃えられました。

しかし、「愛国的」とも取れるこの歌詞は副賞のオルガンを狙って書かれたもので、後に本などにまとめるためのメモも残しておらず、内容すら正確に覚えていなかったという逸話があります。