「20年経ったときに感謝されたら」 受け継がれる信念

障害があっても、「学びたい」「伸びていきたい」という気持ちは必ずある。

河島さんは、それを信じて諦めない限り、希望があるという。

河島淳子さん
「譲ってはいけないところは、譲らない。私自身が厳しくて親は泣く場合もありますけど、厳しく迫らないと母親の心に響かない。いつも言うのは、10年か20年経ったときに感謝されたらいいと思う」

教え子のひとり、石村嘉成さんの療育を描く映画「青いライオン」が公開され、河島さんの療育が注目される中、河島さんは急逝した。

生前、嘉成さんの活躍や映画化についてこう話していた。

河島淳子さん
「いま自閉症の子どもを持って、闇の中にいるような人たちに、私はいま接している。本当に大きな希望になるし、たとえ才能が無い人であっても人間らしく、人を幸せにする、そういう願いを持ちながら生きていくことができる。そこへまた、応援する人たちが出てきて、応援する人たちこそが励まされて、本当に社会がよくなっていく、一つの原点を見るような気持ちでした」

河島さんの信念は受け継がれている。

はじめは静かに座っていられなかった奥野弘光くんも、4か月後には、漢字を学習できるようになった。

弘光くんの母親 奥野充子さん
「河島先生が『この人たちはきちんと療育をすれば国の宝になる』っていうことを言われたんです。『決められた仕事はきっちりやる、人の悪口も言わない。素晴らしい人材になる』と言われている。社会の中で生きていける子になるように、頑張って育てていきたい」