人前でしゃべれなかった少女 転機の瞬間
河島さんの療育は、パラアスリートも生んでいる。

山本萌恵子さんは、リオ、東京、パリのパラリンピックに出場。リオと東京では7位だった。
取材した日は、雨。

母親 山本忍さん
「本人は、今日もすごい雨が横殴りだったので中止って伝えたら、とても怒っています。負けてられないと思ってくれていると思います」
萌恵子さんは、幼いころ人前で全くしゃべろうとしない一方で家族の前では、意に沿わないことがあると泣いて手がつけられなかった。
母親の忍さんはこう語る。
母親 山本忍さん
「病院では薬漬け。病院で『この子寝てばかりです』と言ったら、『寝ていてくれたら落ち着いていいんじゃないですか』って言われたときに、娘とともに一緒に彷徨い続けていました」
萌恵子さんが中学1年生のとき、知人の紹介でトモニ療育センターを訪れた。

この日は、物語を交互に音読する「交互読み」に取り組んだ。
母親 山本忍さん
「『交互読みが終わらなければきょうは帰れません。お母さんだけに帰っていただきます』って言ったんです。でも、書くんですけど、書くのにすごく時間がかかるんですよ。『もう帰りの電車の時間が近づいてきます。もうお母さんタクシーにのって帰ってください』っていう風に河島先生がおっしゃったら」

「声を出したんですね。その大きな壁を乗り越えさせる。それは虐待じゃないです。虐待じゃなくてその子が生きていくための導き。もう本当にそのときの第一声がなかったら次の言葉は出てこなかったと思うんですよね」
河島さんの療育は、時に「厳しすぎる」「虐待ではないか」と批判を受けることもあった。
母親 山本忍さん
「いろんなことをおっしゃる方がいると思うけどそれは違う。達成感とか自己肯定感とかそれを得るもの、そこを支援だ支援だといって手助けしてできないようにするんじゃなくて、できるようにしていく。そこは絶対に河島先生ならではのご指導だと思う」