敗戦の年、1945年4月15日に3人の米軍機搭乗員が殺害された石垣島事件。国立公文書館に収蔵されている石垣島事件の資料の中に「要審査」となっている資料があった。個人名が黒塗りされた文書の公開からかなり年月が経っているので、大幅に見直しされる可能性があるという説明があり、審査を請求すると公開の通知がきた。公開されたのは、資料原本。名前も隠されていない資料の中に、事件当時17歳だった二等水兵の実況見分調書があったー。

◆入隊から2週間で事件に遭遇した二等水兵

公開された石垣島事件の資料(国立公文書館所蔵)

石垣島事件では、米軍機搭乗員3人が捕らえられ、その夜、処刑された。二人は斬首され、一人は杭に縛られて大勢の日本兵から銃剣で刺されて殺害された。この現場に居合わせたのが、2週間前に17歳で入隊したばかりの大城英吉だった。大城は1947年に戦犯として米軍に拘束された際、石垣島の処刑現場を案内していた。その時の写真について説明を求められた調書が国立公文書館で公開された。

◆写真が添付された実況見分調書

調書に添付された写真に写る大城英吉(国立公文書館所蔵)

調書には処刑現場の写真が添付されている。処刑用に掘られた穴を指さしている背の高い青年が大城英吉二等水兵だ。調書がとられたのは、1947年10月7日。場所はスガモプリズンだ。真実を述べるという宣誓をしたあと、質問が続いている。

大城英吉が石垣島の処刑現場を案内したのは、そのひと月前の9月4日だった。その時に撮影された12枚の写真について、説明を求められている。