激しい対立の末に…「苦渋の決断」

高宮信一さん「単純に考えて、4人くらいはすぐに村議を誕生させるくらいの信者の人数だったんですよ。何としても村に住民票を受け付けてもらっては困るということで、反対運動を始めた訳ですね」

高宮信一さん

村民は見張り小屋を作って監視し、村には転入届を受け付けないように呼びかけました。

これを受けて村は信者が提出した転入届を受け取らないと決めましたが、教団側は反発。住民側と教団側の対立は激しさを増していきました。

村民が作った見張り小屋

しかし国の規定上、村長は転入届を受け入れて住民票に記載する責務がありました。

そのため村が9億2000万円を支払う代わりに教団は土地を村に譲り、信者も去ることで教団と和解しました。村民の賛否は分かれましたが、苦渋の決断でした。

警察から聞いた「信者が持っていたもの」

高宮さんは、多額の金を払ってでも村が解決を図ったのは正しい判断だったと強調しました。

衝突する村民と信者

事件後には、警察関係者からこんな話を聞いたといいます。

高宮さん「信者が、波野の『水源地の地図』を持っていたそうです。何のために地図が必要だったかを考えると…恐ろしいことを考えていたのではないかと」

村と教団が和解したのは1994年。「地下鉄サリン事件」が起きたのは、その翌年でした。