■「上にも見ていないし、下にも見ていない 今の日中の学生はフラットな関係」

少し前なら、日本語を学ぶ中国の学生は日系企業に就職し、高給を手にしたいという目標がありました。しかし状況は大きく変わり、中国は世界第二位の経済大国へと飛躍。安いコストで量産する「世界の工場」というイメージも払しょくされつつあります。その結果「裕福になりたい」という理由で日本語を学ぶ学生はほとんどいなくなったのではないか、と渡辺さんは感じています。

「学生を通じて漠然と、日本の魅力が失われつつあるという危機感があるのは確かです。しかし、アニメや漫画などに代表される日本の文化や習慣に憧れを見出す学生もいることから、以前とは違う日本の価値もあるのかもしれません。そして中国の学生は日本のことを『上』には見ていませんね。ただ、日本の学生も中国を『下』に見ている感じはしません。今の日中の学生はフラットな関係でいいなと思いますね

日本語を学んでも裕福になれる時代ではなくなったかもしれませんが、そんな時代だからこそ、教育という仕事にやりがいを感じているといいます。

「“日中の懸け橋”というと話が大きすぎるというか…大学生という、貴重な時期を過ごす中国人の若い子達と毎日接して、彼ら彼女らの人生が少しでも豊かになるよう僕が関与出来たらいいなと思っています。そして結果的に、日中の次の世代でのいい関係に繋がればとも思っています」

■「何か特別な選択をしたわけではない」日中の“近しい距離感”

ミュージシャンを目指しアメリカに渡った20代。気がつけば中国で家族ができ、大学の教員になりました。「波乱万丈ですね」と伝えると、本人は全く違う感覚だといいます。

「難しい決断をしたこともありますが、その場その場で特別なことを選択したわけでなく、真面目に考えた結果こうなった感じなので、特に波乱万丈だとは思わないです。変わったことをやるよりも真面目にきちんとやるほうが楽なんです」

新型コロナの感染拡大、そしてゼロコロナ政策に伴う入国隔離などで、中国は隣国でありながら気軽に行くことができません。しかし渡辺さんの人生を振り返ると、日中は“近しい距離感”だったことを感じずにはいられません。インタビューの最後に、渡辺さんの口から思い出したように「渡辺家の昔話」が語られました。

「私の父方の祖父は戦時中、大連に移住して警察官をしていたんです。戦後の引き揚げで危ない場面もあったらしいんですが、現地の中国人に助けてもらったと話していました。個人的にも渡辺家が受けた恩を、教育を通じて返さないといけないですね」