■“日中家族会議”きっかけに「一番理想としている仕事にたどり着いた」

スタッフを束ねるマネジャー、日系企業などを担当する営業マン…中国での仕事はどれも堅調に評価されていたものの、どこか満足のいくものではなかったといいます。例えば営業マンの時は、それほど大した性能ではない商品でも「いい商品」として販売交渉することで、自己嫌悪に陥ることもあったといいます。思い悩む渡辺さんのため再び“日中家族会議”が開かれ、妻から思ってもいなかった提案を受けました。

「教師になったら?」

これまでの職歴で社内トレーナーの資格を得て新入社員へのトレーニングを担当した経験があったことなどから、妻は適性を見出していたのでは、と語る渡辺さん。義母が元教師だったこともあり、他の家族も賛同。渡辺さんは46歳にして教師を目指すことにしました。2年間単身で日本の大学院に通い修士号を取得し、2020年に上海交通大学で日本語を教える外国人講師として採用されました。

「遠回りだったかもしれませんが、これまで色々なことを経験して、一番理想としている仕事にたどり着いたと思っています。売り上げや利益を追求するのではなく100%学生のことを考えて接することができるので。また、実現できるかどうかわからない決断をするのは簡単ではありませんでしたが、妻は大丈夫だと確信し、背中を押してくれました。その間、子育てなどをバックアップしてくれた家族には足を向けて眠れません」

しかし、中国人の学生に日本語を教えるようになると、さっそく日本の置かれた厳しい現状を目の当たりにすることとなります。