「やっぱり、ここを忘れることはできない」自宅の約1キロ先にある福島第一原発
その区域内に自宅があった山口三四(みつよし)さん、80歳。 県内で避難生活を送っています。
今回、特別に許可を得て、一時帰宅に同行させてもらいました。
時間があればここを訪れ、町や実家の様子を写真に収めています。
山口さん
「もう最後の家と思って建てた家なんだけど」

2024年、長く放置されたままとなっていた家の取り壊しを認めました。 ただ、丁寧に手入れをしていた庭木が残る土地は手放せませんでした。

山口さん
「椿が好きで、椿をいっぱい植えて。 ただもう、こんな風に荒れちゃったから…」

同じ大熊町でも、中心部では駅前に大型商業施設のオープンを控えるなど、徐々に復興の足音が。
片や復興の目処が全く立たないのが、中間貯蔵施設の区域です。
2045年までに除染土が運び出されるどころか、なし崩し的に「最終処分場」になるのでは、という懸念をいだいています。
山口さん
「諦めるしかないと思ったけど、でもやっぱり、 ここを忘れることはできない」

山口さんの実家から約1キロ先にある福島第一原発。
続く廃炉作業で最大の難関とされるのが880トンに及ぶ 「燃料デブリ」の取り出しです。

2024年11月、試験的取り出しに初めて成功したものの、その量はわずか0.7グラム。廃炉への道筋は不透明なままです。
ところが、こうした状況にもかかわらず、 政府は“原発回帰”ともとれる方向に路線変更しようとしています。