取材の日、ホリーニョさんは活動の原点ともいえる1枚、戦前の那覇の街並みを捉えた写真の場所にやって来た。かつて那覇市の中心街だった東町だ。
スズラン型の街灯に人力車。モダンな建物の手前には、頭にかごを乗せて歩く女性が写る。
活動の原点は「失われたもの」への強い思い

▼ホリーニョさん
「(写真と見比べながら)同じ位置に来ると、“地続き感”がより高まりますね。これがここにあったんだ、と」「自分の着想はやっぱり戦前の豊かな那覇。赤瓦とモダンな郵便局が共存する豊かな風景を、沖縄戦で全て失ってしまったということをもっと多くの人が知れたら、当時の那覇とか、以降の沖縄の戦後とかにも興味が湧くのかなと」
“失われたもの”への強い思い。そこには、15歳のときの被災経験が影響している。
「兵庫県西宮出身なので、阪神大震災で被災して母親が足に重傷を負ったりしたんですね。街もめちゃくちゃになって… 同級生も亡くなったりとか、当たり前だったものが一気に瓦礫になったりとか、そういう初期の体験がありまして」
「何を失ったのか、というのが結構大事だなと思っていて。失った後を見るよりも、何がなくなったんだろう、みたいなことを想像したかったので」
カラー化した写真が、記憶をよみがえらせたり、誰かに聞いた言葉を補強する材料になる。ホリーニョさんは、そこに活動の意義があると感じている。
