原発事故で避難 当初は「戻るつもりなかった」

現在は、富岡町で1人暮らしをしている武内さん。14年前の3月、小学6年生の時に、大熊町で被災し、その後は家族で福島市に避難。町を離れる生活が続きました。

武内さん「あまりよく分かっていなかったです。何が起きているかあまり状況を把握していなかったと思う。避難先でそれぞれ生きて、故郷への関心が薄れていく人もいると思うが、僕もそういううちの1人だったかなという感じ」

小学6年生の武内さん

震災前まで育った家は、福島第一原発から4キロの距離にある熊川地区にあります。入り口は、大量の木と枝で塞がれ、入れなくなっていました。

夏になると海水浴客で賑わったという熊川地区は、いまは大部分が除染土を一時的に保管する中間貯蔵施設となっていて、住んでいる人はいません。

井上和樹アナウンサー「家を見ると思い出すことはありますか」
武内さん「なんとなく、昔住んでいた家だなという感じ。(住んでいたのは)小学6年生なので、ぎりぎりというか全くないというわけではないですけど、忘れるというか思い出せないこともあるので…忘れていくと思いますね」

当初は「町に帰るつもりはなかった」と話す武内さん。大学卒業後、県外で働き始めますが、体調を崩し、1年ほどで休職しました。その時、心の支えとなったのが本でした。