同一チームから2時間5分台2人目は史上初
長崎を拠点とする三菱重工は、現監督の松村康平が14年東京マラソンで、初めて2時間10分を破る2時間08分09秒をマーク。当時の日本ではレベルの高い記録で、同年の仁川アジア大会代表入り。銀メダルを獲得した。井上大仁(32)は17年のロンドン世界陸上代表入りすると、18年東京マラソンで2時間06分54秒をマーク。同年のアジア大会で日本勢32年ぶりの金メダルを獲得した。定方は2時間7分台が今回の大阪で3回目。日本代表として23年アジア大会(4位)を走った。そして山下一貴(27)は23年東京マラソンで2時間05分51秒(当時日本歴代3位)をマークし、同年のブダペスト世界陸上11位。終盤で痙攣を起こして後退したが40km地点までは5位を走っていたし、38km地点では3位選手に17秒差に迫っていた。
長崎県で生まれ育った近藤は、三菱重工選手たちの活躍を見て育った。大学3年時の3月に三菱重工の合宿に参加し、22年に入社。2年目に初マラソンを2時間8分前後で走り、2回目のマラソンで代表入り、28年のオリンピックでのメダルを獲得する。そんなロードマップを想定していた。山下のブダペスト世界陸上は入社2年目で「世界のメダルは遠くない」と意を強くした。初マラソンは自身の希望より1年遅れたが、三菱重工では練習の状況、トラックのタイムなどをもとに、体力や走力を総合的に判断してマラソン出場に踏み切る。
井上は全日本大学駅伝2区区間賞や関東インカレ・ハーフマラソン優勝と学生時代にタイトルを取った選手だが、その他の4人は全国的に注目される戦績は残していなかった。三菱重工の育成力には目を見張るものがある。「黒木純総監督やスタッフからの、何気ないひと言が、自分の中に落とし込むことができます。方向性を決められる言葉です」(近藤)
練習を簡単に変更しないことも、三菱重工チームの特徴だ。近藤は「一貫している。妥協しない」という印象を受けた。「目標に対して甘さを持たず、何をやらないといけないか、突き詰めて考えていきます。徹底していますね。陸上競技中心の生活をする雰囲気があります」選手同士の会話も、お互いのヒントになっている。黒木総監督は「以前はこの練習をやればいい、という取り組み方でしたが、井上や山下が世界で戦っていく過程で、こういう感じでやればいい、と練習への取り組み方の精度が上がってきました」とチームの変化を語る。
「近藤たちが入社した頃には、色々な情報が知識としてチームの中に蓄積していました。選手たち自身が考えて、この練習は体のどこを使っているかとか、今日は蹴りがどうだったとか、この感覚でこの練習ができれば次につながっていくとか、会話ができています。選手同士が感性を磨き合っている」その環境の中で近藤は楽な走り方に気づいた。山下が世界陸上で痙攣したことから、大阪マラソンでは給水をエネルギー系とミネラル系を交互に置き、35kmではミネラル系の給水をしたことで痙攣の深刻化を防いだ。定方から「マラソンは苦しくても、楽になるタイミングが必ずある」と何度も聞き、それを信じて初マラソンを走ることができた。
近藤自身は大学までこれという実績を残せなかったが「小さな感覚、小さな成果を大事にして来た」という。そうした努力を続けて来たからこそ、ニュージーランドの40km走で気づくことができた。大学までの実績がなくても、妥協をしないでやるべきことをやれば日本トップレベルに育つ。2人の2時間5分台選手が育ったチームは過去になかったが、近藤の快走で三菱重工が初めて達成した。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)