「確かにどう考えても 『P3C』でカネの動きがいろいろあるはずなんだけど・・・・
(児玉がロ社から)うまくカネを取る巧妙な手口は、証言で取れている。
しかし、(そこから先の)カネの使い方とか、こっちで解明しなきゃいけないけど、そこができていない。
ロッキード社は『軍用機部門』と『民間機部門』で、経理も何もかも違う。
民間機の部分では証言やデータも取れたけど、軍用機のほうは全然取れなかった」

「捜査って、普通はいくつかの可能性で見込みを立てて、そこから証拠を固めていって、こっちはない、あっちはないと消しながら だんだん 絞り込んでいく。
そして最後の1本がはっきりすれば それで起訴する。

『P3C』はアメリカからの『捜査資料』が全くないので、もうありえないとなった。『P3C』 が消えれば、コーチャンが公聴会で証言しているように『 トライスター』でいくしかない。

いろんな、目に見えないところにある犯罪を、表に出すっていうのが検事の役割なんだけど、アメリカから出てきた資料をもとに、その範囲内では全容解明できたかもしれなが、それ以外のところは解明できていない」

「ただ、それはもう凄く深い闇がまだまだあって、日本の大きな政治経済の背後で動く、深い闇の部分に一本の光が入ったことは間違いないんだけど、国民の目から見れば、検察にもっともっと、暗闇のところを全部照らしてくれって、一本だけではわからないって、思われるのは無理もない。
そこは悔しいっていうか、 申し訳ないっていうか、 情けないって言うか・・・・・」

もう一つのロッキード事件と言われた対潜哨戒機「P3C」の防衛庁への売り込み工作をめぐる深い闇。
「トライスター」という民間旅客機の不正とは比較にならない規模の日米の大疑獄に発展した可能性もあった。
「軍用機」のビジネスは金額も桁違いであり、米国にとって極めて重要な輸出品である。

日本はアメリカの圧力で自主開発を断念、1機「100億円」を超える対潜哨戒機「P3C」を「100機」買わされたように映る。
アメリカにとっては総額約1兆円に上る大商いである。それにより、日本は世界で第2位の「P3C」の保有国となった。
「軍用機利権」こそ、ロッキード事件の“もう一つの核心”だった。

防衛庁が「100機」輸入したロッキード社の軍用機の対潜哨戒機「P3C」
ロッキード社が初めて開発した大型ジェット旅客機「トライスター」

大どんでん返し—最高裁が「嘱託尋問」を証拠採用せず

堀田は、ロスから帰国して息つく間もなく、1977年1月に始まったロッキード裁判の公判検事として補充捜査に関わった。

1983年1月26日。
初公判から6年、法廷で田中角栄と対峙してきた堀田は、論告求刑で静かにこう述べた。

「この事件は、厳正な処断を欠くときは、民主政治の根幹を揺るがせることになる」

その上で、田中に懲役5年、追徴金5億円を求刑した。

田中側は一貫して全面否認を貫いていた。
上智大学の渡部昇一教授らをはじめ、「ロッキード裁判は“暗黒裁判”だ」と批判を展開する識者も少なくなかった。
しかし、1983年10月13日、東京地裁の岡田光了裁判長は田中角栄に対し、実刑判決を言い渡した。

「懲役4年」「追徴金5億円」

さらに二審の東京高裁も一審判決を支持。

田中角栄は上告中に死亡したが、1995年2月、榎本秘書、丸紅幹部に対する最高裁判決によって、田中元総理の「5億円」の収賄の事実が認定された。

しかし、このとき最高裁判決で示された判断は、「嘱託尋問」に奔走した堀田にとって、看過しがたい内容を含んでいたのだ。

最高裁はあろうことかこう断じた。
「検察当局がコーチャンらに与えた『刑事免責』下での証言は、日本の法制度下では証拠として採用できない」と。
理由は明快だった。免責を条件に強制的に得た供述調書を証拠とするのは、日本では認められていない「司法取引」にあたる。
ゆえに、コーチャンやクラッターの「嘱託尋問調書」には「証拠能力がない」と結論づけたのである。
つまり、違法な手続きで収集された証拠は、たとえ他に手段がなかったとしても「証拠価値」を持たないーー。

一審、二審で「実刑判決」を受けた田中角栄元総理(上告中に死亡) 
「丸紅ルート」の有罪が確定した最高裁判決(1995年2月2日)

その日、最高裁の判決内容を聞いた堀田は、TBS記者のインタビューに応じ、悔しさをあらわにした。