「私はアメリカ政府がこの問題をもみ消すことを希望する」
「もみ消す」は「hush up」という表現が使われ、その後ろに「MOMIKESU」というローマ字で中曽根の言葉がそのまま記録されていたという。
これは当時の駐日米大使から国務省に届いた公電の写しとして、フォード大統領図書館に保管されていた。
記事によると、中曽根は「もみ消し」を頼んだ理由として、「政府高官名が公表されると三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と米側に説明したという。
この事実をスクープした元朝日新聞記者の奥山俊宏・上智大学教授はTBSラジオでこう話している。
「ロッキードのカネを受け取った政府高官が誰なのかというのは国民の関心事でした。そうした中、中曽根さんは『臭いものには蓋をしない』ということを公の場で述べていた。また『政府与党は一体となって徹底的に究明する覚悟だ』とも語っていたようだ。
中曽根さんは、つまり表では真相究明をするということを言いながら、裏ではアメリカ政府にもみ消すことを希望するようなことを、アメリカ政府に頼んでいたことが、この文書で裏付けられた、発見できたことは驚きでした。中曽根さんからは秘書を通じてノーコメントでした。ただし、アメリカの公文書に記録として残っているので、これを否定するのは難しいかと思います」
(2024年12月24日 TBSラジオ『荻上チキ・Session』)
ある捜査関係者はこう指摘する。
「中曽根は政府高官名が公表されると「日米安全保障の枠組みが壊される」と主張したと言うが、そうではなく、児玉と懇意だった中曽根にとって『児玉ルート』がそれ以上広がらないように保身を図ったということだろう。
中曽根の「もみ消し要請」には、自身の名前を出さないように、という意味が込められていたのではないか」
当時、田中派を担当していたTBSテレビ政治部OBはこう語る。
「のちに誕生する中曽根政権は、旧田中派の後押しで成立した『田中曽根内閣』と揶揄された。中曽根は、ロッキード事件の渦中において、表では三木政権の自民党幹事長を務めながら、裏では田中にすり寄っていた。“風見鶏”らしい立ち回りだった。かつて、吉田茂を対米従属と批判して政治家になったが、1982年11月に総理大臣に就任すると、一転して『日米同盟の強化』に乗り出した」
つまり、中曽根はロッキード事件でアメリカ側に「もみ消し要請」をしたという「弱み」を握られた。こうしてアメリカに外交の主導権を握られ、「日米同盟強化」に向かったのだろうか。
堀田はロッキード事件を振り返ってこう証言している。かなり本音に迫ったインタビューなので、そのまま引用する。
(NHK「未解決事件」取材班「消えた21億円を追え」朝日新聞出版より)
「あの事件は、日本にはびこる 闇のほんの端っこに過ぎない。
ただあれ以上は触れられない事件だった。国家権力を監視する 東京地検特捜部といえども 触れられないことがある。
田中角栄を逮捕できたことだけでもすごいことで、完璧にやれたと我々は自負している。
ただ、本当の闇の部分に触れたら、全てが水の泡になってしまうギリギリの戦いだった」
「しっかり解明されていないところはたくさんある。
例えば、 田中角栄は5億円を受け取ったが、1回の選挙で当時 何百億円も動かすと言われてきた人ですから。 田中にとって 5億円が“はした金”とは言わないまでも、 他にもまだまだ動いているはず。
そういったことも全部解明して、その中でこの事件がどういう意味を持ってるか、本当は追及していかないといけない。でもとってもそんな力は検察にはない。
そこまで解明できる証拠も得られてない。
結局、 ロッキード事件で解明されたのは一部だけに終わってしまった。
だから 全体像が見えてない 。
(ロ社が対日工作で使った)あのカネの“意味”が見えていない 。
だからみんな 今でも『おかしい』とか『陰謀』 じゃないかとかいろんなことを言う」
堀田は核心とされた対潜哨戒機「P3C」については、こう答えている。














