この工場の生地を使ったアパレルブランドのデザイナーをしていた山崎さんは、この話をきいてすぐに会津に向かったといいます。そして・・・
「工場をなんとか続けられないでしょうか」
山崎さんはおよそ2か月間、亡くなった社長の親族と話し合いを重ねました。すると・・・
--山崎さん「“あなたが一番会津木綿のことをおそらく理解して好きで、未来が見えているんじゃないかと思うので、山崎さんにお願いしたい”と話がありました。」
そして、2015年3月、原山織物工場の事業を継承し、会津木綿工場「はらっぱ」を新たに立ち上げました。
--山崎さん「歴史があればなおさら、その地域に愛されている、地域のものだから、新しい人を入れて、さらに活性化できるのであれば活性化していく。もっと柔軟であっていいと思いますね。」
こうして工場は、新たな歴史を刻み始めましたが、その一方で、山崎さんは、技術や製法を継承する難しさに直面したといいます。
--山崎さん「前の亡くなった社長が染の担当だったので、全部彼の胸の内にしかないというか、彼らも口伝で教わって家族経営で引き継いできた会社だったので全くヒントなくて。」
工場ではおよそ40色の糸を使い、様々な模様の会津木綿が織られていますが、使われる糸の染め方や薬品の分量を記したものはありませんでした。
--山崎さん「でんぷんの袋がいっぱい積んであって、でんぷんなにに使うんだろうってところから始まって。電話帳の中に、他の染織工場さんの名前が2・3個あったんですね。もしかしたら知っているかもしれないとお電話して聞いたら、仕上げにでんぷんのりをたくさん使って伸ばすんだよねとか、色々なヒントをいただいて。」
また他の工場に修行としてスタッフを受け入れてもらい、糸の染め方など半年ほどかけ教えてもらったといいます。そして、事業を引き継ぎ、およそ3年後の2018年。ついに、糸の染から織までできる唯一の会津木綿工場が復活しました。
--山崎さん「もう毎日感動していますよ。本当にここからですね。ここからどう会社としてというか、いま私が引き継いで、他人が入ってきてできるというのが分かったので、これをまた私も、後輩というか後継のことを考えながらこれからやっていかなくちゃならないと思っているので。」
工場では会津木綿の魅力を伝える新たな取り組みがスタートしました。
--山崎さん「私が引き継いでからは、結構アパレルの商品を自社で作るというのを力いれていまして。」
去年11月、工場の敷地内に会津木綿商品の直売所をオープン。オープンは月に2日間だけですが、服やカバンなどおよそ500点の商品を実際に手に取りながら買うことができます。
中には、アメリカで人気になっている商品も。
--山崎さん「38センチの生地を2枚コンビネーションにして作っているストールがあるんですけど、これが冬でも暖かく、夏場は日よけにもなるし、ビーチとかに持っていってもタオル代わりに使えるしというので、色落ちも全くしないので、これが凄い人気があって。」
アメリカでは、コロナ渦以降商品がどのように作られたのか、そのストーリーに注目する人が増えているといい、こうした昔ながらの機械で作られていることが評価されています。
老舗の歴史を受け継ぎ、新たな歩みを進める山崎さん。これからも会津木綿の文化や技術を未来につないでいきます。
--山崎さん「やっとスタート地点にたったというか、こう、すべてそろったという感じなので、若い雇用を増やして、若い人がここにわらわら来るような会社にしたいなと思っています。」
『ステップ』
福島県内にて月~金曜日 夕方6時15分~放送中
(2025年2月20日放送回より)