「♪見よ東条のはげ頭 旭日高く輝けば おでこがぴかりと光ります はえが止まれば滑ります」

学徒出陣の壮行式典で演説する東条英機首相(当時)

戦争を推し進めた首相、東条英機をからかう歌詞。先生に見つかればこっぴどく叱られるのは間違いないが、子どもたちはこうした替え歌で日々のストレスを発散していたのだろう。実はこの東条を揶揄した替え歌、全国各地で歌われていた。もちろんSNSなど無く、前首相を批判する“不謹慎”な歌がラジオから流れることもない。全国から子どもたちが集まる疎開先で、自然と広まったのではないかと言われているのだ。それを裏付けるように、外山さんがこんな替え歌を歌ってくれた。

●外山禎彦さん(90) 原曲不明
「四国から集団疎開に合流した子がおって、『♪ここは愛媛か松山町か、松山町なら名物予科練 名物予科練のワカバサンが 弾がつきれば度胸を据えて なんとかすれば体当たり』みたいな歌がありましたね」

疎開先で、愛媛の松山から来た少年に替え歌を教わったと言うのだ。

国民学校4年生の頃の外山さん(画面中央)

▼軍でも“替え歌”一致団結を目的とした歌詞も

替え歌は軍でも良く歌われた。海軍の少年飛行兵になる訓練を受けるため、14歳から17歳の少年たちが、憧れを抱いて門をたたいた飛行予科練習生=通称「予科練」。憧れとは裏腹にその訓練は過酷なものだった。ミスをすれば、激しい体罰があったのだ。

予科練での訓練は想像を絶するものばかり(提供:茨城県阿見町)

茨城県阿見町にある予科練平和記念館には、体罰に使われた棒が展示されている。歴史調査委員の中川さんが、説明してくれた。

●予科練平和記念館 歴史調査委員 中川龍さん(84)
「『海軍精神注入棒』=通称『バッター』です。壁に手をついて尻を突き出す。そこを『姿勢を取れ、ばし、ばし、ばし』って叩かれる。(尻の)皮が一枚むけちゃうくらい、とてつもなく痛い。中にはひどい目にあった人もいて、倒れた人に水をぶっかけて起こして、そしてまた叩いたということもあったそうです」

「海軍精神注入棒」について説明する予科練平和記念館・中川龍さん(84)

大分県の護国神社では、予科練で替え歌が歌われていた証拠が見つかった。去年閉館した地元の記念館から運んできた資料の中に、徳島県で訓練をしていた予科練生が書いた画集があり、そこに替え歌の歌詞が書かれていたのだ。題名は「練公と尻」。