復旧から復興へ向かうために

2024/12/14、文化財レスキューのみなさまと地元有志のみなさまのお力を借りて、町野町粟蔵にある町野神社の社殿から、御神輿が救出されました。

8/22の粟蔵地区のキリコの救出直後から計画されていた御神輿の救出は、9/21の奥能登豪雨の被害を受けて延期されていましたが、それでも可能な限り早くということで、能登半島地震発災から11ヶ月、年を越す前にとようやく救出されたのです。

町野町の御神輿救出の様子(2024/12/14)提供:町野町の有志の方

能登の人々にとって「祭り」は特別なものです。町野町では、2024/8/12にふるさと5000人の祭典が、2024/8/17には曽々木大祭が執り行われました。

祭りに欠かせないキリコと御神輿のレスキューは、町野町以外の地区でも地元の方々に寄り添いながら行われています。

町野神社の御神輿の救出から遡ること1ヶ月前の2024/11/17、かねてから計画され、奥能登豪雨により延期となっていた輪島市大屋地区のBさんの祖父の形見のキリコが、倒壊した2階建の車庫の1階部分から救出されました。

倒壊に巻き込まれたキリコ 提供:Bさん

キリコの救出には、粟蔵地区のキリコ救出でもご尽力いただいた町野町の工務店さんと運送会社の方が駆けつけてくださり、頼もしく作業を進めてくださいました。

当日は、冷たい雨が降る中の作業でしたが、町野町の工務店さんが事前に支保工を実施してくださったおかげで、安全にキリコを運び出せました。

また、いつも輪島大祭で一緒にキリコを担ぐBさんの同級生のみなさまが集まってくれたことで、和気あいあいと作業を進めることができました。

救出されたキリコは、屋根部位にある龍の装飾や漆が塗ってある部分が剥がれ、キリコの一番目立つ文字が書いてある部分の「中籠」が一番被害が大きく、ぐちゃぐちゃになっている状況でした。

救出されたキリコ 提供:Bさん

幸い、電球は無事で、かたね棒などの骨組みも母屋の縁側の上に保管していたことで被害を免れました。

これらのキリコの部品は、文化財レスキューさんがひとつひとつ記録を取り、丁寧に保護梱包してくださり、町野運輸さんのトラックに積み込んで保管先の能登町に預けることが出来ました。

Bさんは、当日のことをこのように振り返ります。

「じいちゃんの形見のキリコですが、我が子を預けるような気持ちでした。やっと肩の荷がおりて、居宅の公費解体に進めると思ったのを今でも覚えてます。公費解体は年越しで実施して1月中頃に完了しました。

今年は、なんとかキリコを修理して、今年は無理でも来年の輪島大祭には、復興の象徴として同級生達でこのキリコを担ぎたいと思ってます」

キリコの修繕や新たな保管先の確保など、やらなければならないことはありますが、祭りに意識を向けられるようになったこと自体が、能登の復旧が復興へと向かう最中にあるということなのだと思います。