BC級戦犯として1950年4月7日、スガモプリズンで命を奪われた成迫忠邦上等兵曹。26歳で独身だった成迫は、母に長い遺書を書いている。成迫の故郷、大分県の500戸の村で村長を務めていた父は早くに亡くなり、大きな農家を切り盛りしていた母。成迫は学徒出陣したものの、大学まで進学させてくれた母に感謝し、死刑直前でも取り乱すことなく、母に仏の道を語っていたー。

◆処刑前夜 母に宛てた遺書

BC級戦犯として死刑になった成迫忠邦(米国立公文書館所蔵)

成迫は、「肉体の忠邦は死んでも、真の忠邦はいつまでたっても死なない。この心になったのもお母さんが私に学問をさせてくれたからです」と遺書に書いた。

「絶対死なない人間になることが出来なければ、100歳まで生きても幸福は訪れては来ない」という成迫の考えを母の体験になぞらえて説明している。

<成迫忠邦の遺書>「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会1953年)
こんなことを書くと「幸福と云うことは大変難しい事だ」と訳のわからない人は早合点するかも知れませんが、そんなに難しいものではないのです。失礼かもわかりませんがお母さんに例をとってみましょう。

お父さんが亡くなられてからのお母さんはまだ若き兄さんを初め、小さな私達を抱えて、あの家庭をきりまわしておられた時は、或はお父さんになり変わって男の心になり、また或る時は優しいお母さんであったことがよく判っています。

◆死刑の判決を受けて初めてわかった

成迫忠邦の筆跡(同郷の武田剛さんに宛てた手紙)

<成迫忠邦の遺書>
お母さんは不動明王信者で何か家庭の事とか、世間の事で心苦しい時は必ず「南無大日大照不動明王」とか「南無阿弥陀仏」と唱えていたのを覚えています。勿論当時の私には次のようなことは判りませんでしたが死刑の判決を受けて、この生活をするようになり初めて判りました。それはお母さんが合掌して口に不動様か阿弥陀様を称えている時が一番幸福な時であります。拝んだ後で、その拝んでいた時の姿(心)をふり返ってみると、そこにはお母さんの肉体もなく、あるものは不動様か、阿弥陀様でしょう。その時はお母さんがそのまま(肉身のまま)不動様か阿弥陀様と一体になっているのです。だから結局お母さんの其のままが仏になって居るのです。

世紀の遺書(巣鴨遺書編纂会 1953年)

この姿をよくつきつめてみると、お母さん自身(肉体的)もないことになります。(若しあれば信心が足らないことになります)肉体がなくなると云うことは死がなくなることになり、生もそうです。あるものはただ不動様や阿弥陀様だけなのです。これが本当のお母さんの姿です。人は誰でも生まれながらにして仏であるのですが、煩悩と云う霞がかかっているものですから、なかなか本当の姿(仏)が現れないのです。

前にも書いたように、この時が一番幸福な時です。二頁に書いた文章だけなら「何だか忠邦の書いていることは雲をつかむようで意味がわからん」と思われたでしょうが今書いたように、幸福とは決してそんなに難しいものではないことにお気付きになったことでしょう。そして信仰の有難さも頷かれたことと思います。