アイ子さんは、山澤さんが5歳の時に29歳の若さで亡くなりました。被爆から20年が経っていました。山澤さんの記憶に残るアイ子さんの姿は、亡くなる前後のほんの一部のみです。

山澤寛治さん
「みんなで正月…集まるじゃないですか。父親が病院に行こうといってまぁ具合が悪かったんでしょう。薄暗くて静かにしとけと言われてあんまりおりたくないような甘えられるわけもないし」

アイ子さんは足が腫れて膿が出るなどの症状があり肉腫と診断。1年以上の闘病を経て、亡くなりました。

山澤寛治さん
「保育園に行った時に、僕が先生に『おかあちゃんが出るときは大きい箱に入って出ていったけど帰ってきたら小さな箱になって帰ってきたんよ』と言ったと言われたですね」