アイ子さんが亡くなってすぐに新しい母親が来たこともあり、山澤さんは父親や家族から母・アイ子さんの話を聞くことがほとんどありませんでした。新聞などで姉弟の写真を目にすることも嫌だったといいます。

山澤寛治さん
「資料館にしても新聞にしてもなんか嫌じゃったですね。みんなの目にさらしものじゃないけど、されているような気がしたので」

気持ちに変化があったのは去年9月…。RCCが取材を申し込んだことで母・アイ子さんについて改めて考えたと言います。そばに居た4歳の孫に、母を亡くした幼い自分を重ね合わせました。

山澤寛治さん
「子どもがいるのに亡くなっていく。ものすごい辛かったんじゃないかなという気持ちがわかったですね。封印といったらおかしいが言ってもいけない…(育ての)母親もいい気がしないですよね。父親も喋らない、私も聞かないというのがずっと続いて。いまこうやってインタビューに来られて改めて考えて、そういや何にも残ってないんじゃないかと」