山城さんが構える「医学写真研究所」が開業したのは1974年。病気の原因究明に活用される医学写真の需要は大きく、多い時には20人の従業員がいた。
▼山城政幸さん
「学術研究用に、先生方は論文を作ったり、本の標本にしたりするための写真が必要だったんですよね。朝8時から(手術室に)入って、夜の10時ぐらいまでかかるときも。飲まず食わず、これを我々だけじゃない、先生方みんなそうだった」

医学写真でお店の利益が出ると、趣味のレコードに注ぎ込んだ山城さん。家族にたしなめられることはなかったのか…
「(妻から)また蓄音機が来たの?って感じで言われて、“いやこれは友達が送ってきてるんだよ” とかね、嘘ついてさ…」
順調だった店の経営も、デジタル写真の時代に移行し、医学写真のオーダーが少なくなっていくと、山城さんは代わって新たな需要を取り込んでいく。
0歳児から5歳児までを預かる、那覇市寄宮のみやぎ原保育園。「医学写真研究所」にお仕事を依頼している。
▼みやぎ原保育園 大城りさ副主任
「運動会とかお遊戯会の方のDVD撮影をお願いしています」「(山城さんが)明るく声掛けしてくれて、子どもの表情を引き出してくれるので、もう毎日DVD見てますとか、エイサーや体操の曲も見ながら踊ってますという声がありますね」
保育園のイベントや、地域の行事の撮影依頼は、お店にとって大きな収入の一つ。
土日もないほど忙しいという山城さんの息抜きは…やっぱり、レコード。

▼山城政幸さん
「聞くとほっとしますよ、レコードというのは。肉声に近い音を出しますので、本人が(蓄音機の)中にいるような感じで歌ってくれます。癒やされますね」
貴重なレコードが並ぶ那覇市のお店を覗いてみると、地域に愛され続ける写真店と、大好きな音楽に囲まれる店主の姿があった。(取材 宮城恵介)