人が人として生きていくために『住民同士のつながりや快適な生活環境が大切』

 1996年3月、大本さんが市営住宅の空き部屋の抽選にあたり、1年間住んだ第7仮設を出ることになりました。

 【当時の様子】
 (大本さん)「どうもありがとうございました、本当に」
 (仮設住宅の住民たち)「寂しくなる」「寂しいけどしかたがない」
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 自治会を引っ張ってきた大本さんがこの日、第7仮設を去りました。

 あのとき移り住んだ市営住宅でずっと暮らしてきた大本さん。ここでも自治会の役員を務めました。「自分だけでなく、みんなのために」という自然な気持ちからでした。

 (大本功さん)「ちょっとでも住みやすいようにしたいなと、それしかなかったです。古い住宅でも、ここに移ってきて、住むところができて、生活が安定したのが大きいですよね」
 (清水アナ)「今、自分の環境が当たり前だと思ってしまっていますが、それが自分のせいではなく地震が起きたことで一気に壊れてしまうのは恐怖ですね」
 (大本功さん)「ちょっと悔しいですよね」

 仮設住宅は、被災した人々が悲しみと不安を胸に一時をしのぐために辿り着いた“仮の街”にすぎません。人が人として生きるためには住民同士のつながりや、快適な生活環境がいかに大切かを大本さんは教えてくれました。
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 (清水アナ)「毎年1月17日はどんな気持ちで迎えますか?」
 (大本功さん)「もうあんまり大きな思い出しはないです。正直言って、嫌なことはあんまり思い出したくない」
 (清水アナ)「嫌なことを思い出すよりは、前を向いていこうという気持ちですか?」
 (大本功さん)「前向きに生きたいです。自分の命を大事にしてほしい。生きていたらなんとかなるでしょう」