「父と一緒に死にたかった」母が漏らした言葉

山下芙美子さんと山下金宏さん

普段は物静かな芙美子さんの、金宏さんを荼毘(だび)に付す時の慟哭が、山下さんは脳裏に焼きついて離れないという。

(山下准史さん)
「とにかくもう、大きな声で叫びながら、ひょっとしたら自分も一緒に(棺に)入ろうとするんじゃないかというぐらい、大きな声で泣きながら見送っていましたね…」

教諭時代の山下さん

その後、神戸市の市立小学校の教諭だった山下さんは神戸に残り、芙美子さんは大阪の親族宅に身を寄せることになった。芙美子さんは「父と一緒に死にたかった」と漏らす場面があったという。

(山下准史さん)
「『せっかく救われたんやから、死にたいなんか言うたらあかん』と、つい言っていましたね…。他にどういう声をかければ良かったのかもわからないですけど、少なくとも『つらいよね』ぐらいね、もうちょっと声のかけ方があったのかなと、いまでは思いますけどね…」