(藤後昇一さん)「象徴的なのがこの言葉です。『青空の下でビフテキを食うために』」

志布志市の藤後昇一さん(74)です。東京の大学を卒業したあと、20代でふるさとに戻って反対運動に加わり、武田さんと出会いました。

“光化学スモッグの下でビフテキを食べるよりも、煙のない青空の下で梅干しを食べたい”

スローガンを掲げた運動の中心にはいつも、地元住民がいたと言います。

(藤後昇一さん)「どこに行っても割烹着を着た女性のデモや集会での参加人数は相当なものだった」