昭和48年=1973年、第1次オイルショックで高度経済成長が下火になる中、その4年後に就任した鎌田要人知事です。計画反対が続く中、埋め立て規模を当初の半分に縮小し、石油備蓄基地建設を盛り込んだ新たな計画を決めました。

しかし、反対運動は激しさを増し、県議会に反対派が乱入。警官隊が出動する事態に…。

結局、志布志湾は石油備蓄基地の整備だけで終わりましたが、地元漁協は補償金と引き換えに、漁業権を放棄。港はにぎわいを失いました。