二重災害から再起した歯科医師
能登半島地震で甚大な被害を受け、公費解体となった町野町鈴屋地区の広江歯科は、町野町粟蔵地区で再建中の9/21に奥能登豪雨で再び甚大な被害を受けました。
床上約2mの浸水。水が引いたあとも、重い泥が床上20cmまでを埋め尽くし、窓やドアなど、至る場所に流木が刺さっても、廣江院長は諦めませんでした。
「診療台や高額な機材の搬入前であったことは、不幸中の幸いだった」と、廣江院長は当時を振り返ります。
発災後すぐに建設業者の方々や親類が集まり、さらに全国から駆けつけてくださったボランティアのみなさまや、地元有志の方の力を借りて泥出しを進めていきました。
当時は、全てが流されてしまい、泥出しのための道具の調達さえままならなかったのですが、能登町出身の有志の方々が、おいしい金沢さんの呼びかけではじまった、能登災害支援用のAmazonほしいものリストを通じて全国のみなさまからお寄せいただいた泥出しの道具や、必要な物資を届けてくださいました。
泥出しで疲れ果てて、必要な物の調達や食事の準備をする余裕も気力もない中で、たくさんのご支援や炊き出しががもとやスーパーさんを拠点として行われ、ボランティアのみなさまや地元のみなさまが粟蔵地区を回ってくださったりと、本当に助けられました。
泥出しが終わった後は、多くの工事をやり直しながら、約1ヶ月遅れの12/2に診療再開にこぎ着けました。

以前から務めていたスタッフも2人戻り、奥様であり、歯科衛生士の佳代さんと合わせて4人での再スタートです。
「早くにボランティアに入ってくださった、トモさんの言葉が一番記憶に残っています。どのボランティアさんも嫌なひとつ顔せず、みんな笑顔で頑張ってくださいました。そして『日に日に私達の顔が明るくなって来た』と喜んでくださいました。今生活出来るようになった自宅も、仕事が出来るようになった歯科医院も、ふと床を見て『数ヶ月前には這いつくばって泥出ししていたんだなぁ』と思い出しています。あの時には、トモさんのようにポジティブな考えは出来なかったけど、本当に再建できたのはボランティアさん達のおかげだと思います。改めて感謝の言葉を伝えたいです」と、佳代さんは、当時のことを振り返ります。
能登を離れた後も交流を続けているトモさんからも、佳代さんを通じて、当時のお話をお伺いすることができました。
「皆さんがあの状況の中でも立ちあがろうする気持ちがあったから、僕たちはお手伝いをさせてもらえたんです。再開するためにみんなで泥出しをしていたあの時すでに、泥出しが終わり、オープンの日を迎える皆さんのお姿がぼくにはイメージできたんです」
明確な復興のビジョンを持って、前向きに、ひたむきに大変な泥出し作業を担ってくださったボランティアの方々、そのお姿にどれだけ励まされただろうと思います。
年末年始で後回しにしていた自宅部分への引越しも終わり、1/6には新年の診療が始まりました。
朝から約30名ほどの患者さんが訪れ、昼休み返上で診療に当たったとのことで、「地域の歯科医として、2025年を始めることが出来た」とほっとしたご様子でした。
そんな廣江院長の、開業当初と同じ「奥能登の住民の口は俺が守る」という決意は、今も変わりません。
「地震と豪雨で一年のうちに二度も甚大な被害を受けたが、だからといって諦められるものではない。諦めずに診療再開にたどり着けたのは、ボランティアのみなさんや、地域のみなさんのお力添え、声かけがあってこそのこと。72歳からの再建は、地域のみなさんへの恩返しはもちろん、仕事しかできない自分のためでもある」と、再びこの町野町で歯科医師として働く日を目指し、これからも自分に出来ることを精一杯続けていく決意を新たに語ってくださいました。