地震により多くの被害が出て、さらに去年9月には豪雨にも見舞われた能登。大切な人のことを考え、この地を離れる決断をした方もいます。不安や迷いを抱えながら「能登に生きる」人たち。どのような思いで新年を迎えたのか、取材しました。
輪島の被災神社に家族連れ 初詣客「今年は去年の分まで」

ホラン千秋キャスター
「普段の風景とは違うのが分かりますね」
1日、被災した輪島市の重蔵神社には多くの初詣客姿が。そこで願ったのは…
初詣客
「今年、安全に家族と過ごせるように」
「(去年は)記憶ないくらい一生懸命であっという間だった。今年は去年の分まで、楽しく過ごせたらいいなと」
2024年、元日に起きた能登半島地震。
これまでに災害関連死を含み、504人が亡くなりました。
31日、井上貴博キャスターは石川県・珠洲市へ。

井上貴博キャスター
「その時のままですね」
震災直後から取材を続けてきた珠洲の町。どうしても訪ねたい人がいました。
井上キャスター
「ご無沙汰しています」

市町俊男さん。1年前、避難所だったこの場所で出会いました。

当時、珠洲市に押し寄せた津波。
市町さんはなんとか逃れることができましたが、義理の父親は亡くなり、自宅も全壊しました。
いまは家族3人、仮設住宅で暮らしています。避難所生活に比べれば楽にはなりましたが…

市町俊男さん
「ここに布団を2つ敷く。狭いながらも生活しています」
年越しは、市外にいる子どもや孫と過ごすことはできないそうです。
市町俊男さん
「もう、子どもは帰ってきませんので、帰ってきても寝るところもありません」
かつて住んでいた家は、今は解体され、この先珠洲の町に残るのか悩んでいました。
市町俊男さん
「子どもたちは『(金沢に)出てきたら?』と言うんですが、自分としては、まだ吹っ切られん。できるならここで…津波の来ないところがあればいいな」