望むのは父の名誉回復 「勇気ある行動をした1人として認めて」

1962年に結成された初代「ジャニーズ」のメンバーで、被害に遭った中谷良さん。3年前に74歳で心筋梗塞で亡くなりました。

中谷良さんの娘・江麗さん
「(父と母)2人の事情で結婚できなくて、3人で写っている唯一の写真」
娘の江麗さん。父・中谷良さんは精神的に不安定で、一緒に暮らすことは叶いませんでした。
江麗さん
「20歳のときに1回、父とわかって会いに来てくれて、それまで電話で話をしていた。ずっと病んでいたというか引きずってて、(母は)頑張って良ちゃん(父)を励ましていた」

中谷さんは、ジャニーズ時代の多忙さや性被害による心の傷から、睡眠薬に依存するように。メディアは中谷さんを「落ちぶれた元アイドル」と興味本位に報じました。
1989年、中谷さんは自身の性被害を綴った告発の書を世に送っています。

「ジャニーズの逆襲」より
「マスコミの方々、いたいけな少年がもうこれ以上被害を受けないように取り上げて欲しいと思います」
しかし、こうした告発本はどれも黙殺され、反逆者扱いさえ受けたのです。

10年後の1999年、「週刊文春」の報道が裁判に発展。「性加害を認める判決」が出たにも関わらず、メディアは沈黙します。
最後まで人間不信に苦しんだ父。娘は意を決します。
中谷良さんの娘・江麗さん
「告発本を出して、良ちゃん(父)がこの問題が今の時代にこうなって、どうしたかなってすごく考えて。補償とかよりまず、被害者として認められるべきだと思った」
戸籍上はつながりのない江麗さんに代わり、被害を申告したのは江麗さんの伯母(中谷さんの姉)でした。
伯母は別の番組の取材に答えましたが、江麗さんは今回、補償を申告した理由を自分で説明したいと、私たちの取材に応じました。
東山氏と面会した江麗さんは、補償金を受け取りませんでした。

江麗さん
「(東山氏に)『反逆者だと思いますか?』と投げかけたときに、『いや、思いません』『事務所の大先輩として尊敬しています』という言葉ももらって。反逆者じゃない勇気ある行動をした1人として認めてもらいたい。その姿で思い出してもらいたいと思う」
望んだのは、父の名誉を回復することです。

江麗さん
「声をあげた。でも結果的に取り合ってもらえないというのが変われば。それじゃないと声を出す人もいなくなってしまう。その勇気を無駄にしないような世の中に、社会になってほしい」