地震と豪雨“二重被災” 再建悩み続け

この町で生まれ育った梅木俊幸さん。発災の3日後に取材をしました。家族と一緒に逃げた高台で、故郷を襲う津波を目撃しました。
再び、梅木さんとその高台へ向かいます。広がっていた、地震の傷跡。

梅木俊幸さん
「もう1年経ちますけど、また1月1日になったら、また地震が来るんじゃないかとかって、ないとは思うんですけども、少し思ったりとかもします。記憶からは一生抜けることはない」
子供の頃から住んでいた自宅は、元日の地震で津波が押し寄せ全壊。9月に公費解体で取り壊されました。

梅木俊幸さん
「重機でたたんで潰されていく姿を見ていると、『あ…自分たちの家が…』という感じになりますよね、どうしても。でも、これが私達家族の復興の第一歩なのかなと。まずはここを潰してから、私達が今度ここに新たに家を建てることによって、自分たちの家族の復興が始まるのかなとは思っています」
先へ進むために決めた、自宅の再建。梅木さんは、震災前と同じプロパンガスの配達の仕事を続けています。今は仮設住宅を中心に回っていますが、道路の状態が悪い場所もあり、今まで以上に時間がかかっているといいます。
ただ、仕事中も…
梅木俊幸さん
「地元に残っているのが正解なのか、それとも地元から出た方が正解なのか。仕事で紛らわせたりするけど、やっぱり現実に戻ってしまいますので…」
元日の地震の後も、6月に最大震度5強の地震が発生し、9月の豪雨では自宅近くを流れる鵜飼川が氾濫。自然が牙をむく度、決意が揺らいでしまいます。
梅木俊幸さん
「(家族と)いろいろと揉めました。揉めて揉めて喧嘩みたいにもなりましたし。ここに(家を)建てるという気持ちになりましたけど、地震が来ると「やっぱり…』の繰り返しです」
多くのものを失い、悩み続けた2024年。それでも前に進めたのは…

梅木俊幸さん
「熊本地震のときのボランティアの方が来て、助けていただきました。それを思うと、やっぱり助けに来ていただけるっていうことは、本当に私たち被災者にとって、すごく助かりました。それがなかったら、多分今の私たちはないんじゃないかなと。とにかく復興には時間がかかると思います。私達も行政に要望を出しながら、ゆっくり待ちながら復興をしていきたいなと思います」














