能登半島で元日に発生した地震。一見、少しずつ復旧・復興が進んでいるようにも見えますが、現場を取材すると「正月が怖い」と口にする人もいました。地震からまもなく1年。何が変わったのか、そして何が変わっていないのでしょうか。
「正月が怖い」被災者の今の思い
家屋の1階部分をのみ込んだ大量の土砂。災害の爪痕は今も深く刻まれたままとなっていました。

石川県珠洲市の大谷町。2024年9月、記録的な豪雨で発生した土石流が町を襲いました。地震と豪雨の“二重被災”。復旧・復興に向け、前に進んでいた最中のことでした。

大谷町では12月にようやく断水が解消されましたが、周辺の地区である清水町では断水が続き、住民はバケツに貯めた雨水でしのいでいました。

大谷地区の住民
「もう水道ないのに慣れてしもうたから。(復旧の)進捗状況がどうなのかちょっとよくわからない。まあ言うてもしゃあないと諦めもある」

大谷町では12月上旬に仮設住宅の入居も始まりました。取材中に出会い、仮設住宅に入居した春田恵伸さん(67)は、避難先の金沢から引っ越し作業を進めているといいます。
2024年元日、震度6強の揺れに見舞われた春田さん。家族は無事でしたが、家は全壊しました。
仮設住宅に入居 春田恵伸さん(67)
「やっぱね、思ったより疲れる。同級生も死んどったり精神的にやられる1年で。結構、精神的ダメージでかいよ」
能登半島地震からまもなく1年。
ーーもうすぐお正月、どんな思いが?

春田恵伸さん
「無いと思うけど怖いわ。正月にあんなことがあると。また無いと思うけど嫌やわ。こっちにいたくない。正月だけはあんまり。あの時はひどかっただけに、トラウマじゃないけどあまり…正月が」