「語り部」で活動を継承する最年少の女性の思いは
下松市の金清陽子さん。爆心地から3キロ離れた現在の広島市西区己斐町で、胎内被曝しました。
会に入るきっかけになった娘から、メールで受賞が知らされたと言います。

金清陽子さん
「娘がお母さんおめでとうって言うんで、知ったんですけども、私達はもう本当、先人たちのご苦労が実ったなっていう思いが非常に強くて」

金清さんはおよそ40年前、娘さんの保育園で被団協の活動に触れ、加入しました。以来、小・中学校を中心に自身の体験や記憶を話す、「語り部活動」を行っています。
金清さん
「今年ノーベル平和賞というすごい賞を私達の団体がね、いただきましたっていうことを話しました。その年の、もう直後に皆さんね、じかにこういう被爆者の被爆のね、話をね聞けるっていうのはね、皆さんすごいことなのよっていうふうに言って、みんなもニコニコしてましたけど」

小学校などで講演をすると、子どもたちは真剣に話しを聞いてくれるそうですが、時代の変化や経過によって風化させないためには、若い世代の協力も必要だと感じています。