「最終的には15人くらいが寝ていた」建て替えによる“立ち退き命令”

 しかし、耐震性の問題などを理由に建て替えが決まり、2019年に閉鎖。一部の路上生活者は敷地内からの立ち退きを拒んだため大阪府が提訴。今年5月、最高裁が立ち退きを命じる判決が確定したため強制執行が行われました。

 (水野阿修羅さん)「(現在あいりん地区で)日雇い労働している人は3000人。最終的には15人くらいがこの(センター)周辺で寝ていた」
 (Qここで生活していた人には、どんなサポートがある?)
 (水野阿修羅さん)「高齢の人は生活保護。若い人はドヤ(簡易宿泊所)やアパートに入るように」

 あいりん地区が日雇い労働者の街となったのは明治時代まで遡ります。天王寺公園一帯で博覧会が開かれたころ、会場の北側にあったスラム街が今のあいりん地区に移されたといいます。戦後の高度成長期はあいりん地区の労働者が重宝された時期もありましたが、景気の低迷とともに求人も減っていきました。