大阪市西成区、JR新今宮駅の南側にある「あいりん総合センター」。周辺は古くから「労働者の街」として発展してきましたが、12月1日、センター閉鎖後も敷地内で生活を続ける人たちに対し強制執行が行われました。

 あいりん地区とは、どういった街なのでしょうか?21歳の時にあいりん地区に移住して建設業など日雇いの仕事に従事し、今は地域のガイドをしている水野阿修羅さん(75)に話を聞きました。

「労働者の方が大きな顔をしていた」活気に満ちていたバブル期

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 (Qこの街を見て何年ですか?)
 (水野阿修羅さん)「50年過ぎましたね」
 (Qここが一番賑わっていたのはいつ頃?)
 (水野阿修羅さん)「80年代のバブルの時。その時は人が足りなくて、労働者の方が大きな顔をしているくらい仕事があった」
 (Qどういう事情であいりん地区に来る人が多い?)
 (水野阿修羅さん)「よそで働いていてクビになったとか、仕事がなくなったとか、常用の仕事に雇ってもらえないとか」

 1970年に開設した労働者の就労などを支援する「あいりん総合センター」。現在は閉鎖されています。建物内には市営住宅や病院も併設されていました。ここに日雇い労働者たちが早朝に職を求めてやってきて、建設現場などに送られたのです。前の大阪万博がきっかけで求人ラッシュとなり、最盛期は全国から2万5000人の労働者が集まり、活気に満ちていました。

 (水野阿修羅さん)「製造業の会社が大型バスで求人に来ていた。求人票を見て乗って現場に行く。(日当は)1970年のころは2500円。いまはガードマンで1万円。建設関係は1万1000円から1万2000円」