10月27日に投開票が行われた衆議院選挙。神奈川1区では、野党候補が乱立する中、前職の篠原豪氏と、“政界のマツジュン”こと、元職の松本純氏の事実上の一騎打ちとなった。投票日まで接戦が続いたものの、結果は立憲民主党の篠原氏が約9万票を獲得し、小選挙区で2度目の勝利を収めた。一方、自民党の松本純氏は約6万8千票にとどまり、2万票差で敗れ、議席を取り戻すことはできなかった。
なぜ松本氏が敗北し、篠原氏が勝利を収めたのか。両陣営の選挙活動を振り返り、JNNが行った情勢調査を基に、投票行動を分析した。

自民・松本純氏 謙虚に再出発も 党への逆風に阻まれる

「皆さんの生命財産を守り切るということが、国会議員の責務であります。その責任を果たすためにはバッチをつけないとできないんです。バッチがついて初めて公の議論ができる」

横浜・桜木町駅前でこう訴えた、松本純氏(74)。襷には念願の“自民党公認”が光る。最終演説には、麻生太郎自民党最高顧問が応援に駆けつけた。

中区生まれの松本氏は、1996年に初めて当選して以来、衆議院議員を7期25年の間務めてきた。麻生太郎氏率いる麻生派(志公会)の前身である「為公会」の立ち上げにかかわり、麻生氏の右腕として、信頼が厚い。安倍内閣では国家公安委員長兼防災担当相として入閣。自民党内で重要な役割を担ってきた。

しかし、2021年、コロナ禍の緊急事態宣言中に、銀座のクラブに深夜まで滞在した問題で国民からの厳しい批判にさらされる中、自民党から離党勧告を受け、離党。無所属で挑んだ直後の衆院選では、約3万票差で落選を喫した。

「真摯に反省、謙虚に再出発」自身のブログにこう綴った松本氏。
落選してから選挙までの3年間は「時間に余裕が出来た」こともあり、地元での活動には余念がなかったという。自民党関係者からの評判も悪くない。松本氏が自ら編集しているというブログにも、日々の活動が事細かく記されている。

自民党に復党し、党公認ももらって、再び挑んだ衆院選。陣営は松本氏が落選中の3年間に積み上げてきた活動に自信をのぞかせていた。12日間と短い期間だったが、準備不足は全く感じられず、むしろ松本氏にとっては待ちに待った選挙という方がふさわしいだろうと感じた。
地元県市議と薬剤師連盟らによる強い結束のもと、今度は「何がなんでも勝つ」。勝利に向けた並々ならぬ決意があった。