松江市松江城・史料調査課 稲田信 さん
「宍道湖の大部分を干拓して、そこを農地にするという計画も、実は当時あったんです。」

1955年頃に作られた構想図です。
放水路を造って斐伊川の水の大部分を日本海に流れるようにし、水量が減った宍道湖の大部分を干拓して4800ヘクタールの農地を生み出すとしていました。

中海干拓及び中海、宍道湖淡水化事業計画概要図


干拓地に道を造れば交通も便利になり、洪水の心配もなくなるという、まさに壮大な計画でした。

しかし、斐伊川の流れを変えるには、相当の調査期間を要するため、中海側の干拓事業が優先され、その後、コメの増産を巡る社会情勢の変化を受けて、宍道湖の全面干拓計画は消滅しました。

入江直樹 記者
「人の手によって、宍道湖は随分、姿を変えて来たんですね。地図から分かりました。こうしてみると中海のこともちょっと知りたくなって来ました。」