「地図」、そこには様々な情報が含まれています。
「古い地図」には、現在とは変わってしまったことも記録されています。
島根県松江市の「地図」を元に、水の都のシンボルともいえる〝宍道湖〟が陸地へと替えられてきた歴史・変遷を調べました。
入江直樹 記者
「昔の地図を見ていたら、一畑電車の駅が宍道湖に面して描かれているんです。どうしてなんでしょうか。宍道湖、見えないですよね。」
1936年、昭和11年の地図です。

宍道湖の北岸にある北松江駅というのが、現在の、松江しんじ湖温泉駅です。
しかし、今、駅と宍道湖の間にはホテルなどが建ち並んでいる上、湖ともかなり離れています。
松江市の松江城・史料調査課で話を聞きました。
松江市松江城・史料調査課 稲田信 さん
「宍道湖というのは江戸時代以来、埋め立て、あるいは干拓で土地をどんどん広げるという経緯があったわけで。」
見せて頂いたのは、1960年代前半の撮影とされる写真。
手前の自動車教習所には、レトロなオート三輪が走っています。
右上が、当時の北松江駅で、古い電車が停まっているホームは、確かに宍道湖のすぐ隣にあります。

こののち、松江温泉駅、松江しんじ湖温泉駅と駅名が変わっていった北松江駅。
タワーがそびえるコンクリート製のモダンな駅舎は、2001年に建て替えられるまでは宍道湖の対岸からも見えてランドマークになっていたとのこと。

宍道湖が凍結した1963年、昭和38年の三八豪雪の時の写真にも宍道湖岸にそびえる駅舎の姿が見えます。
松江市松江城・史料調査課 稲田信 さん
「(Q、何で北松江駅はこんな辺鄙な所、不便そうな所に造ったんでしょうか?)市街地の家の立ち退きとかせずに、一番松江の中心に近い場所、良い所に造ったのだと思います。」