復興目指して奮闘もコロナが追い打ち
木曽臨時支局での取材で出会った1人が今孝志さん(当時60歳)。5合目と7合目を結び御嶽登山の玄関口である「御岳ロープウェイ」と、標高1500メートルほどにある「開田高原マイアスキー場」の運営会社の社長だ。

今さんが御嶽山と出会ったのは36歳の時。スキー場の開発に携わったのがきっかけだった。御嶽山にスキー場を核とする広大なリゾート施設を開発することを夢見てきた。
噴火当日、今さんは「御岳ロープウェイ」で登山者の避難誘導にあたった。また、噴火後には、ロープウェイのセンターハウスの山頂を望む場所に、犠牲者を悼む献花台を設置した。
鎮魂の祈りに包まれる中、観光の立て直しを目指す日々が始まる。噴火から3か月後、スキー場をオープン。翌年には、「御岳ロープウェイ」の運行が再開されたが、客足は遠のいた。
誘客のため全国を駆け回る今さんだったが、厳しい現実が突きつけられた。
「毎日報告を受けるが、きのうも利用客ゼロ。ビジネスなんてレベルではない」
復興という重圧を背負う日々。スタッフと自分自身を鼓舞する毎日が続いた。
「必ずいい日々がやってくると信じて…いつか復活する」
しかし、その後も試練は続く。
噴火の3年後、木曽地方を震度5強の地震が襲う。その後も大雨被害が続き、営業の休止を余儀なくされた。「とにかく楽な年は1年もないです」「何か壁が前に出てくるんですよ」とつぶやいた。
噴火から8年目。「御岳ロープウェイ」を訪ねた。
「今年からキャンプ場も運営していて、5月の連休は100組ぐらい入ったんですよ」
今さんは、賑わいを取り戻そうとずっと挑戦を続けていた。運営する2つの施設は、地域の人々の拠りどころであるとの信念からだ。
ただ新型コロナの感染拡大が追い打ちをかける。2022年、資金不足に陥り、ロープウェイとスキー場の運営から撤退することを決めた。無念だった。
「3年続けて大雨によって近くの道路が陥没。噴火でダウン寸前まで追い込まれてコーナーロープでかろうじて立ち続けていたが、新型コロナの感染拡大で完璧にノックアウトされた感じです」
スキー場の客数は、奮闘もあって、噴火以降、ほぼ横這い状態で推移。しかし、ロープウェイの利用客は、新型コロナの影響が響き、2020年、2021年と噴火前の5分の1にあたる2万人ほどにまで落ち込んだ。
「20代、30代だったとすれば、跳ね返していくバイタリティーみたいなものが備わっていたかもしれない。歳も取ってくるし、アイディアが出なくなってくる。次の世代に引き継いでいくのが自然なんだろう…」
スキー場は、木曽町から岐阜県の企業に譲渡され、再出発することになった。戦後最悪の火山災害から8年。復興を誓い、奮闘を続けてきた今さんはその舞台から去った。
ロープウェイに設置された献花台の前で今さんは言葉をかみしめた。
「何とか…天国から見守ってというか…我々ができるだけ強く生きて、この人たちに応えられるように」
