大学生ながら、当時流行していたローラースケート場の運営を任され、月収は100万円ほどだったいう谷口誠治さん。大学を中退すると、厳格な両親のすすめもあって吹田市役所で公務員として働くことになるが…(全4ページ 3/4)
Q:月収はどうなりましたか?
(大学生時代)月収100万から(公務員になって)9万8000円ですよ… もうびっくりですし、最悪ですよ。家から通わないといけないし、結局2年半で辞めました。
Q:その後がなかなか ぶっ飛んでいるというか・・・
「世界で通用するエンタメ」を目指して、原宿の歩行者天国でローラースケートのパフォーマンスをしたり、ミュージカル「スターライトエクスプレス」のオーディションを受けて合格し、世界ツアーに参加したり。日本に戻ってからはショーの演出などをするようになっていました。

あるオーディションで菅野美穂さんを発掘して、1992年に芸能プロダクションを設立しましたが、私は「タレントに食べさせてもらっている」とか「タレントにしがみついている」と思われるのが嫌いなんですよ。「何々ちゃんのお母さん」って呼ばれるのを嫌がる女性がいるように、「何々さんの事務所の社長」って言われることが嫌で・・・。「タレントに食べさせてもらっているんでしょ?」と人に思われるのも嫌。実際、自分としてはやるべき仕事をやっていましたから・・・ 今となってはどうでもいいんですけど、なんか・・・まだ若かったので「だったらやめる」って決めてITの会社でも作ろうかということになった。
そしたら、突然 倒れてしまって、”左半身不随”みたいな状態になってしまったんです。当時は精神的にも相当 追い詰められました。どれだけ調べても原因はよくわからなくて・・・でも友人たちの励ましなどもあって徐々に回復。最後まで原因はわかりませんでしたが、おかげ様で再び働けるようになりました。