激動のエンタメ業界で、普段はほとんど光が当たることのない「裏方」を深掘りする、「エンタメDIG 裏方列伝」。なごやエンタメを全国・世界に届けるべく挑戦を続けている谷口誠治社長の人生とは。(全4ページ 2/4)
Q:どんな子どもだった?
小中学校の頃は引きこもりみたいな状態で友達がいませんでしたね。 1人遊びが得意でした。

自然と「テレビっ子」になり、松竹新喜劇の藤山寛美さんを見て夢中になりました。吉本の劇場にも学校をさぼって見に行ったりしていました。中学校の時はラジオを聞いて「ハガキ職人」のようなことをしていました。
Q:人生が変わったのはいつ?
高校でラグビー部に入ったんですけど、先輩とかがもう、みんなワルで・・・それまではかけっこでも最後から2番目くらいに入れば良いやと、全力で何かをしたことがなかったんですが、全力を出さないといつまでも走らされるし、なぐられるし、これはまずいなと、本気を出すようになったんですよ。結果的に2か月後くらいには1番早くなっていましたし、喧嘩も強くなりました。
ラグビー部の顧問の先生はめちゃくちゃぶっとんでいて「鬼」って言われてましたけど、好きでしたね・・・当時としては画期的で全部カメラで試合とか撮影してみんなで見てましたね。本当は見てはいけないものを、その後 見たりもして「絶対に外では言うなよ。俺もクビになるけど、お前らも全員退学や!」っていうような先生でした。
そもそも、何かを「教えてもらうこと」が嫌いだったんですよね・・・
「自分でとことん考える」のが好きだったなぁ・・・

Q:大学では何を?
友人に誘われて、当時人気だったローラースケート場のプロデュースみたいなことをしていました。最初は月に25万円もらっていましたが、3カ所オープンさせた後は、一か月に100万円くらいもらっていました。ただ、両親ともに公務員の家で、とても厳しく、大学を中退すると無理矢理、中途の試験を受けさせられて、吹田市役所に公務員として働くようになりました。