五輪出場が夢だった高校時代 駅伝強豪校で3年間補欠

高校時代は駅伝強豪校にいましたが、3年間補欠。

それでも抱き続けた五輪出場という夢が叶おうとしたとき…新型コロナの影響で、1年の延期が決定しました。

(前田穂南選手)
「しんどかったです」
「全部含めて走る以外も全部含めてです」
「前が見えないのと窮屈な感じが苦しかったです」

開催されるかさえわからない状況の中、懸命に練習を続けましたが、左足を故障。大会直前はほとんど練習が積めないまま本番を迎えました。初めての夢舞台は33位でした。

(前田穂南選手)
「もう走れない状態だったので、自分の力が出し切れなかった悔しい気持ち」

(武冨豊専任コーチ)
「『メダルを取ります』とか自分を奮い立たせるための発言をしていたぶん、思うようにいかないというプレッシャーとか、苦しさは相当だったと思う」