かかとの疲労骨折で1年7か月マラソン大会から遠ざかり…
その後、さらにかかとを疲労骨折。1年7か月もの間、マラソンの大会から遠ざかりました。

それでも、もう一度五輪にと、パリ五輪に向けた最初の選考会・MGCに出場しましたが結果は7位…このレースでは、パリへの切符を掴むことはできませんでした。

(号泣する前田選手)
(母 麻理さん)
「頑張るの?」

「次、頑張るそうです」
前田選手には五輪をあきらめられない理由がありました。

(前田穂南選手)
「本当は辞めるつもりでした」「東京五輪終わってから…」
(松村みなみ記者)「Qなんで続けられているんですか」
(前田穂南選手)
「東京五輪でけがをしていなかったら、です」

「けがをして終わるのはそれは嫌じゃないですか」
「けがで終わりは嫌なんで」
「いい形で終わりたいじゃないですか」

夢だった五輪で、自分の力を出し切るまでは終われない。五輪の選考レースの1つ、1月の大阪国際女子マラソンで日本記録を叩き出し、2度目の五輪代表を掴み取りました。

















