問題を放置すると…

観光客の過多や迷惑行為に関する問題は、コロナ禍以前から指摘されていた。京都では、市バスが観光客によって混雑し市民の利用に支障をきたしているという問題、芸舞妓を追い回して強引に写真撮影をする、いわゆる「舞妓パパラッチ」、さらには食べ歩きに伴うゴミのポイ捨て、私有地への無断立入や写真撮影、神社での乱暴狼藉等々、様々な問題が指摘されてきた。

北海道・美瑛では、写真撮影のために勝手に農地に立入る迷惑行為(作物の踏み荒らしや、病原菌の持ち込みリスク)が以前から問題視されてきた。江ノ電鎌倉高校前駅付近の踏切で大勢の観光客が車道を塞ぎ写真撮影をする問題、渋谷の路上飲酒、さらには、民泊と近隣住民とのトラブル等々、各地で様々な問題が指摘されている※注1)。

こうした問題を放置すると、住民の反発が激化するのはもちろん、観光客の足を遠ざけてしまうことにもつながりかねない。

「京都は好きで何度も行ったが、最近は行かなくなった」「混み過ぎて京都らしい雰囲気を楽しめない」「バスに乗ろうとすると地元の人に迷惑がられているようで嫌だ」「マナーの悪い観光客が京都の雰囲気を台無しにしている」等といったことを耳にすることもある。

外国人観光客で賑わっているように見えても、その反面、日本人観光客が離れはじめているとすれば、それは大きな問題である。「大量集客によって観光客の満足度を落とすような事態」、さらには、「特定の需要が増えたために、他の需要が締め出される事態」(crowding out)も問題であろう。

外国人観光客の急増により混雑が日常化することで、日本人観光客が離れはじめ、加えて、本来生活の足であるはずの市バスに住民が乗れなくなるような事態を招くことで、住民の間に観光への反発が高まり、観光から利益を得る人たちと迷惑を被る人たちとの間に亀裂が生まれて「地域社会の分断」にまで発展するとすれば、取り返しがつかないことになるかもしれない。