スタジオは君たちの遊び場だよ

各務 「オレたちひょうきん族」は、当時の、フジテレビにとっての裏番組である「全員集合」※に対するアンチテーゼというか、当時確かに土曜日の夜、圧倒的に強かったですからね。そこにないものを作ろうという覚悟があって、ですか。

※「8時だョ!全員集合」 1969年~1985年、(土)20時~21時。TBS

横澤 いや、そんな高邁な思想もなくてね、ただ集まらないんですよ、人が。忙しくて。特にひどいのが吉本(興業)ね。約束した時間には絶対来ない。もうどんどん(時間が)遅くなるわけ。明け方にまでなっちゃうんです。みんなもうヘロヘロで。これは普通の考えでやっていると、とんでもなく時間もかかっちゃうし、終わらない。

(出演者は)漫才でネタをやることには多少長けてても、スタジオのバラエティーなんかやったことないわけじゃないですか。漫才じゃないから、やる方も不安なんですね。そういう状態でやってましたから、これはもう根本的に考えを変えようってことで、スタジオはもう、君たちの遊び場だからと。何やってくれても結構ですよ、ということで収拾していったんです。だから、やけくそですよ、そういう意味では。

各務 まあ、今ですから、そういうことをおっしゃられるわけで、当時としてはやっぱり、計算はあったんじゃないですか。

横澤 いやいや。計算があったとすれば、日々知恵が付いてくるんですよ。どっちに振ったらいいかっていうね。だから、どういう計算をしたかっていうと「どっちんこ(強いものとの直接対決)、やめようぜ、どっちんこは」ね。

タケちゃんマンは人気があったんで、ドリフの長いコントが終わって、ステージが反転して、歌のゲストが出てくる頃に「ひょうきん族」では、タケちゃんマンが始まると。これがもう理想的だってんで、みんな計算してね。大体の分数計算。向こうは生で、こっちは録画ですから、大体サバで計算してやるんですよ。これが一番成功した理由じゃないでしょうか。

あの強いのにぶつけて、なんて思ってたら、とてもじゃないけど勝てない。で、その理由は何だといったら「俺も見たいじゃない、あっち」みたいな感じで。だからきっと、子どもたちは、ドリフのコントを、20分、25分かな、それを見て、終わった頃に「ひょうきん族」に回したら、タケちゃんマンが見られるっていうのが一番美しくないか、ということで、やったんですね。