『オリンピック休戦』を3度“無視”するロシア…北京大会時には開会式の日にグルジア侵攻

過去を振り返ってみても、オリンピックは国際情勢に影響されてきました。
【1972年・ミュンヘン大会】
イスラエル代表選手ら11人が殺害される。
【1980年・モスクワ大会】
アフガニスタンに侵攻したソ連への抗議として西側諸国がボイコット。金メダル確実と言われた柔道・山下泰裕選手が参加できず。
【1984年・ロス大会】
ソ連など東側14の国と地域が出場見送り。
【1992年・バルセロナ大会】
旧ユーゴなど民族紛争。
こうした中、1993年、オリンピック期間中の休戦を呼びかける『オリンピック休戦』が、国連で全会一致で決議されました。もともと古代オリンピックは「戦争からの解放」という目的で始まっています。
しかしその後、ロシアは3度にわたりこの取り決めを“無視”。2008年・北京大会では、開会式の日にグルジア(現ジョージア)を侵攻。2014年のソチ大会(冬季)では、パラリンピック期間中にクリミアを侵攻。今回のパリ大会も休戦していません。














