「竹内昌彦、ばんざーい!」厳しく寡黙な父が3回叫んだ
しかしこのとき、メダル以上に心に残る出来事がありました。
(竹内 昌彦さん)
「パラリンピックに出発する日のことだった。岡山駅に大勢見送りが来てくれた中に、父も母もいたよ」

「父親はおとなしい男で、何も言わなかった。そんな無口な父がね、ベルが鳴り終わって、いよいよ電車が動き出したそのときになって、デッキに立っている私に向かって、あのおとなしい父がいきなり大きな声を張り上げたんですよ」
「『竹内昌彦、ばんざーい』ってね。あの父親が3回も叫んだ。いやびっくりした、でも嬉しかったよ」。

重い障害の我が子を育て上げた「父親の勝利宣言のバンザイ」
「あれ、父に言わせるとね、自分の息子がたった8歳、こんなチビで目が見えなくなった。でも自分は、きょうこの日まで時間の許す限り、腕によりをかけてこの子を鍛えた」

「その子はいつの間にか自分より遥かに大きくなって、こんなに大勢の人に見送られて、今東京へ出発していく。この目の見えん子を、私がここまで大きゅうした。この子を育ててよかった」
「あれこそ、重い障害を背負った我が子を育て上げた、父親の子育ての勝利宣言のバンザイ以外の何物でもない」

「お父さんありがとう、お父さんのおかげで、こんな体をもろうて東京に行ける。ありがとう、お父さんって。下を見て涙をこらえて、そうつぶやくのがやっとだった」
「私はね、そんないい親に恵まれたんですよ」

互いを思う家族の気持ち 竹内さんの心の支えに
普段は、厳しく寡黙だった父が、駅で大声でバンザイの声を上げてくれた。。。その姿は、兄の和彦さんにとっても信じられなかったといいます。
(竹内昌彦さんの兄 和彦さん)
「子供優先のね...キツいんだけど、子供のためには何でもするというような感じの父親でしたね」

「私には想像できないですね、駅で『竹内昌彦バンザイ』なんて言ったことがね。普通ならあんまりそういうことしない人なのにね。やっぱり嬉しかったのかもしれないですね」
その兄・和彦さんは、東京の大手電機メーカーを退職後、岡山に帰り、今は視覚障害者を支援する活動をしています。
互いを思う家族の気持ちが、懸命に生きる竹内さんの支えになったのです。
