命を救った3000回の講演

皆さんは、岡山市在住の竹内昌彦さんをご存知でしょうか?生後間もなく右目を失明、さらには小学生のときに左目を失明し、これまで70年以上にわたって目の全く見えない人生を歩んできました。

そんな竹内さんのライフワークとも言えるのが「講演」です。これまで30年間で3000回近くの講演を行い、悩める多くの人たちを救ってきました。

小学生時代の壮絶ないじめ、青年期の大きな挫折、幼き長男の死...多くの苦難を乗り越えた竹内さんから紡ぎ出される言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。

そんな竹内昌彦さんを、RSKラジオ・RSKイブニングニュース・RSK地域スペシャル メッセージでは15年に渡って追い続けてきました。「死ななくてよかった」「その言葉で命を救われた」「生きる勇気をもらった」...竹内さんの言葉・人生をシリーズでお送りしていきます。

【第1話】「自殺するな 辛かったら逃げてもいい 死なずに待て」
【第2話】「これまで3回死にたいと...でも生きててよかった」
【第3話】「いじめで死ぬくらいなら...大騒ぎして周りに訴えろ」
【第4話】「こんな子が生まれたことが不幸...踏切へ何度も行った」

壮絶ないじめを克服 パラリンピックで獲得した金メダル 

小学生時代に「目が見えない」というだけで、石を投げられ、給食にゴミを入れられるなど激しいいじめに遭いながらも、持ち前の負けん気の強さで克服した竹内さん。そんな竹内さんをどんな時でも支えてくれていたのは、両親でした。

障害のある子どもを、家の中に閉じ込めるようなこともあった時代。それでも両親は、竹内さんを「優秀な兄」と同じように育ててくれたといいます。

そんな両親を「安心させたい」と思っていた竹内さん。そのチャンスは高校2年生の時に訪れました。竹内さんは1964年、東京オリンピックの年に、パラリンピック「盲人卓球競技」で日本代表に選出され出場。そして大会で金メダルを獲得したのです。