店主・上間良光さん(83)
「最初(当時)はオキコの代理店が黄色の看板が多かったもんで、自分が始めたときに、黄色に「オキコ、ビスケット、キャンディ」と書いているのを見てみんな“おきこや”と」

上間商事の看板には、社名より仕入れ先の「オキコ」の文字の方が大きく書かれていたため、いつしか地域では「おきこや~」と呼ばれるように。

当初は卸し売りが中心でしたが、地域の人が小売りで駄菓子を買い求めるようになると段々とスペースが広がり、卸売りと駄菓子屋どちらの機能も果たす営業スタイルになりました。

そんな「おきこや~」の原点は、「99ドル」でした。

山を売って手にした「99ドル」

戦争マラリアにより6歳で両親を失った良光さん。

20代に差し掛かろうとしたころ、良光さんに転機が訪れました。「駄菓子の卸売りが商売になる」と親戚から聞きつけ、お菓子の世界に飛び込んだのです。

店主・上間良光さん(83)
「部間(名護市の西の地域)に山があったんですよ。採石場が始まってこの山を99ドルで売って、これが始まり。99ドルで自転車を買って、那覇でお菓子を仕入れて」「翌日の朝、羽地村、屋我地村とか今帰仁村とか、オートバイで売ったりしたんですよ」

採石業者に山を売って手にした99ドル。この開業資金で1959年8月、上間商事をスタート。なんとその時の借入帳を、孫の雄大さんが家の大掃除中に発見しました。

▽孫・雄大さん(31)
「貧しかったという話だけは聞いてたので、どういう風にしてお店が始まったっていうのを聞けるきっかけにもなって良かった」